藤波朱理の父の職業は?娘のために転職して給料が半減していた!

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藤波朱理の父親

2024年パリ五輪で金メダルを獲得した女子レスリングの藤波朱理選手。

そんな最強の娘を持つ父親について気になっている方もいらっしゃるのではないでしょうか?

そこで今回は、

  • 藤波朱理の父の職業は?
  • 娘のために転職して給料が半減していた!

このことについて記事にしてみました!

早速、本題に入って行きましょう!

目次

藤波朱理の父は職業は?

藤波朱理
出典:Instagram

現在20歳のレスリング女子の藤波朱理選手はパリ五輪では金メダルを獲得、公式戦137連戦という負けなしの記録を打ち出しています。

そんな藤波選手の父親・俊一(としかず)さんは年齢59歳の元レスリング選手で、ソウル五輪では代表候補の一人だった実力者です。(2024年現在)

藤波朱理と父
出典:X

そしてパリオリンピックレスリングの代表コーチもしていた人物で、プロレスリングの藤波辰爾さんではありません。

藤波辰爾さんは「藤波」という姓とレスリングつながりで藤波選手の父親だと勘違いされてしまうそうです。

父親は高校教師

藤波選手のお父さんは、三重県の公立高校『いなべ総合学園高校』の教師で部活やクラブでレスリングを教えていたそうです。

また「いなべレスリングクラブ」を設立したお父さんは地元の子供達にもレスリングを教えており、このクラブに娘の藤波選手は通い始めレスリングに興味をもったそうです。

やがて藤波選手が本気で実力をつける気になっていたため、お父さんは高校のレスリング部と「いなべレスリングクラブ」の指導の合間に藤波選手の指導にもあたりハードな毎日だったそうです。

「高校とクラブの合間の時間を使って練習するようになりました。練習(時間)以外の練習ですね」

引用元:Number Web

まさにレスリングに人生を捧げていますね。

お給料が半減した理由とは?

お父さんは安定している公立の教師を早期退職しています。

その理由は藤波選手がオリンピックに出場した時、自分がコーチとしてセコンドに付きたいという思いだったそうです。

ある日、高校教師だったお父さんは日本体育大学からレスリングのコーチとしての仕事の依頼があったそうです。

この時、藤波選手は高校2年生でした。

「朱理が高2の年の秋に、母校である日体大レスリング部のコーチに空きが生じ、私に声が掛かったのです」

引用元:デイリー新潮

そして他にも三重県から東京に引越しをするため高校教師の職は続けられず、コーチとしての就任期間はわずか一年でしかありませんでした。

お給料は半減し、東京での暮らしにもお金がかかります。

しかし高校のコーチではナショナルチームのコーチに就任できないため、藤波選手がオリンピックに出場しコーチとして指導するには大学で指導する実績が必要でした。

藤波朱理の父親
出典:X

上京して全日本や五輪の試合をサポートしたいと思ったお父さんは奥さんに「退職金を全部あげる!」などと説得したそうです。

「東京で大学生を教えて、全日本、五輪っていうのを体現したかった。お金じゃない。退職金は(妻の千夏さんに)全部あげますって」。千夏さんを説得し、上京。

引用元:サンスポ

奥さんを説得し高校教師を辞め、日体大のコーチに就任することにしました。

そして、お父さんは娘の藤波選手が日体大に進学しレスリングができることを信じて高校を退職したそうです。

レスリングのコーチがしたいのではなく、娘のコーチがしたいという一心で生活を変えるお父さん、ここまでの強い思いを持ち人生をかけている人はなかなかいないのではないでしょうか。

コーチより家事が大変だった!

藤波朱理の家
出典:X

2021年にお父さんは退職し、日体大のレスリングコーチとして就任しました。

その後、藤波選手は特待生として日体大に入学して、授業料は免除され強化費も支給されているそうです。

不安だった家賃の高い東京での暮らしも、この強化費でまかなっているため生活できているとのこと。

家賃10万円は強化費から出ているので、今は私が居候させてもらっている状態。

引用元:デイリー新潮

またお父さんは慣れない家事全般をこなし、料理は鍋料理が多く藤波選手から「鍋料理ばっかりやん!」と言われてしまうこともありました。

「いつも鍋ばっかりやん」と文句を言われながらも、料理本を片手に腕を振るった。

引用元:サンスポ

今ではお母さんが上京してサポートをしているそうですが、慣れない環境や家事をしながら年頃の娘と生活するのは大変だったそうです。

そんな生活を送りお父さんはナショナルチームの研修を受け合格し、日本代表のコーチに就任します。

また高校を退職したお父さんでしたが、現在も元職場のいなべ総合学園高校で外部指導者としてコーチは続けているそうです。

藤波選手はお父さんの念願がかなって五輪初出場で金メダルを獲得し、137連戦中という記録を持ち、ここまですべてお父さんの希望通りの生活ができているのではないでしょうか。

それもお父さんの長年の努力があってこそ今があるようです。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

藤波朱理選手のお父さんは藤波選手がオリンピックに出場する時のために、高校教師を辞めて日体大のレスリングコーチに就任しました。

そのお父さんと二人三脚でパリ五輪出場を果たしたようです。

今後の藤波選手の活躍に期待したいですね!

ここまでお読みいただきありがとうございました!

それでは!

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